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ご挨拶

  • 大泉ひろこの決意  
                  
    私は、東京の新宿生まれ、茨城県には1992年から住み、16年経ちました。
    東京大学教養学部卒業後、厚生省(現 厚生労働省)に入り、30年務めました。年金、医療保険、福祉、それに、厚生分野の対米交渉やWHOの仕事など国際業務も多く携わりました。

    1980年代、ユニセフのインド事務所に出向し、計画評価官を務めました。僻地、スラムでの予防接種、識字率、就学前児童プログラムに取り組むうちに、厚生省の枠ではなく、国の安寧を考える政治に出たいと考え始めました。厚生省に帰り、90年代の不況時に、少子高齢社会の設計が思うようにできない官僚の限界を感じ、また、財政問題だけを優先する政治リーダーにも失望しました。人々に学び、現実を反映した仕組みづくりをしたいと政治への心は決まりました。1998年から3年余、山口県副知事を務め、地方の疲弊を目の当たりにすることにより、その思いはさらに強くなりました。

    民主党公認を得、山口県で衆議院と参議院の選挙に出馬して敗れました。改めてオーストラリア国立大学に赴き国際情勢を学び、ビジネスを経ることによって、官僚であるときと考えはすっかり変わってきました。日本は、グローバリゼーションの中で、抵抗できない部分もありましたが、人為的にも不平等が行われ、競争以前の問題として、国の足元が危ういと確信しています。

    社会サービスの分野においては、等しからざるを嫌う国民性を大切にし、医療、福祉、教育の3分野での機会平等を徹底することをテーマとして訴えていきます。新たな財源も検討されねばなりませんが、1992年のスウェーデンのエーデル改革などに学び、同じ年齢層での公平を保ちつつ、若い人の負担を大きくしない工夫をしなければならないと思います。その上で、実物経済の中心がアジアに移っていることから、日本がアジア経済ブロックで貢献できる、ひいては日本経済を安定的なものにする役割を担えるようにすべきです。
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