衆議院議員(茨城県第6区)大泉ひろこ
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プロフィール

大泉ひろこ【略歴】

1950年東京生まれ(生年月日/1950年 1月 20日)
1972年東京大学教養学部卒業、厚生省に入る
1977年ミシガン大学大学院行政学修士取得
1983〜86年国連児童基金(ユニセフ)中北部インド事務所計画評価官
1996年厚生省児童家庭局企画課長
1997年厚生省社会援護局企画課長
1998〜2001年山口県副知事
2003年衆議院選挙山口一区から出馬、66,672票で高村正彦氏に敗れる
2004年参議院選挙山口県選挙区から出馬、311,851票で岸信夫氏に敗れる
2005年オーストラリア国立大学大学院国際学修士取得
2007年〜民主党茨城県第6区総支部長
2009年〜現在衆議院議員 / 現職1期(茨城県6区)

[ 国会の所属委員会/役職 ]
内閣委員会/理事、
青少年問題に関する特別委員会/委員
家族男子一人(大学院博士課程で数理生物学を専攻)
趣味小説を書くこと、飲むこと(ビール・ワイン・焼酎党)、語学、整理整頓
団塊党世話人


【議員会館部屋番号】
衆議院第2議員会館509号室
TEL:03-3508-7509
FAX:03-3508-3939

【茨城事務所】
土浦市中神立町13-5
TEL:029-832-8291
FAX:029-832-8292

大泉ひろこの著書

著書名出版社発売日DATA
なぜ・今・インドに雪華社1986/05単行本: 213ページ
ISBN-10: 4792802253/ISBN-13: 978-4792802257
インドから考えるアジア學生社1988/11単行本: 224ページ
ISBN-10: 4311601166/ISBN-13: 978-4311601163
ワシントンハイツ横丁物語日本放送出版協会1993/09単行本: 206ページ
ISBN-10: 4140801239/ISBN-13: 978-4140801239
現代好色五人女河出書房新社2000/08単行本: 175ページ
ISBN-10: 4309013651/ISBN-13: 978-4309013657
私はグットクルーザー文芸社2006/10単行本: 149ページ
ISBN-10: 4286020681/ISBN-13: 978-4286020686

大泉ひろこ【人生を短く語る】

1950年1月20日、東京の新宿で生まれ、9歳まで、新宿から一駅の初台で育ちました。父が、戦争から帰ってきてGHQに勤務していたことから、私の人生の初めは、アメリカへの羨望から始まりました。その羨望は、団塊世代共通の経験と思います。

団塊世代の多くは、知らず知らず、アメリカ的豊かさと自由を求め、大量生産大量消費の歯車になって、気づいてみると、集団に埋没しがちな、謙虚な日本人として半生を送ってきたものと思います(拙著「ワシントンハイツ横丁物語」NHK出版1993年 参照)。

練馬区上石神井に引越し、区立上石神井中学校を卒業、都立西高校を卒業。そして、東京大学教養学部で国際関係論を専攻し、卒業と同時に、厚生省(現 厚生労働省)に入りました。大学では、全共闘の討論に馴染めず、実社会に出て、真実を知ろうと考えました。

厚生省から派遣されて、ミシガン大学大学院で行政学修士を取得し、アメリカの実践的学問に大いに刺激を受けました。同時に、ウーマンリブの最盛期にあって、同級の女子学生の積極人生に感化されました。

その後、私は、厚生省の国際部門に多く関わるようになりました。
1980年代には、ユニセフ(国連児童基金)の中北部インド事務所計画評価官に出向し、3年間、医療福祉の開発援助に携わり、日本の国際社会での役割が、私のテーマになっていきました。(拙著「なぜ・いま・インドに」雪華社1986年、「インドから考えるアジア」学生社1988年 参照)


厚生省に戻り、児童家庭局の企画課長や社会援護局の企画課長を務め、学童保育の法制化を決めた児童福祉法の改正、福祉の措置から契約を導入する社会福祉法の立法に携わり、制度が人々の行動を変え、また、人々の幸福(不幸)にも繋がることを実感しました。

人事の一環として、山口県副知事に赴き、3年余、地縁血縁のない未知の所で、地方行政に携わりましたが、もっと人々の声が聞こえるところで制度作りをすべきと考え、退任後、政治を目指しました。山口県で、衆参2度の国政選挙に敗れ、いったん夢から遠ざかり、オーストラリア国立大学パシフィックアジア研究大学院で、国際学修士を修めました。日本で、ビジネスに就きながら、再考し、もとからの居住地である茨城県から、再び国政選挙にチャレンジすべく、民主党茨城県第6区総支部長に就きました。

現在は広い関東平野を駆け巡り、千の声を聞き千の風になって改革を実現しようと活動しています。

大泉ひろこの決意

私は、東京の新宿生まれ、茨城県には1992年から住み、16年経ちました。
東京大学教養学部卒業後、厚生省(現 厚生労働省)に入り、30年務めました。年金、医療保険、福祉、それに、厚生分野の対米交渉やWHOの仕事など国際業務も多く携わりました。

1980年代、ユニセフのインド事務所に出向し、計画評価官を務めました。僻地、スラムでの予防接種、識字率、就学前児童プログラムに取り組むうちに、厚生省の枠ではなく、国の安寧を考える政治に出たいと考え始めました。厚生省に帰り、90年代の不況時に、少子高齢社会の設計が思うようにできない官僚の限界を感じ、また、財政問題だけを優先する政治リーダーにも失望しました。人々に学び、現実を反映した仕組みづくりをしたいと政治への心は決まりました。1998年から3年余、山口県副知事を務め、地方の疲弊を目の当たりにすることにより、その思いはさらに強くなりました。

民主党公認を得、山口県で衆議院と参議院の選挙に出馬して敗れました。改めてオーストラリア国立大学に赴き国際情勢を学び、ビジネスを経ることによって、官僚であるときと考えはすっかり変わってきました。日本は、グローバリゼーションの中で、抵抗できない部分もありましたが、人為的にも不平等が行われ、競争以前の問題として、国の足元が危ういと確信しています。

社会サービスの分野においては、等しからざるを嫌う国民性を大切にし、医療、福祉、教育の3分野での機会平等を徹底することをテーマとして訴えていきます。新たな財源も検討されねばなりませんが、1992年のスウェーデンのエーデル改革などに学び、同じ年齢層での公平を保ちつつ、若い人の負担を大きくしない工夫をしなければならないと思います。その上で、実物経済の中心がアジアに移っていることから、日本がアジア経済ブロックで貢献できる、ひいては日本経済を安定的なものにする役割を担えるようにすべきです。

日本の社会サービスの再構築をめざして

21世紀の日本は、アジアの社会サービス大国として、国内外に主張できる国でありたいと考えます。製造業や消費の市場は、中国・インドなどに移っている今、アジアの先進国日本は、社会サービス産業立国をめざすべきでありましょう。

この10年行ってきたアメリカ化ではなく、欧州化を採り入れることが必要です。冷戦終結後は、行政のアメリカ化が進んできました。特に小泉政治は、政策の奥座敷にあった社会保障をアメリカ流にしようと努めてきました。

社会サービス大国の理念は、健康と教育の機会平等です。健康と教育は人々を同じスタートラインに立たせる最重要な要素です。これがあって初めて、自由主義、資本主義での競争が公平に行われると信じます。

健康と教育の平等を実現するには、健康資源と教育資源へのフリーアクセスを保障しなければなりません。10年前の健康保険制度のほうがよほど優れていました。ヒラリークリントンも日本の制度を真似てアメリカに健康保険制度を作ろうとしたのです。そして、健康と教育においては、プロフェッショナリズムが尊重されるシステムが必要とされます。プロフェッショナリズムの尊重とは、労働条件や訴訟に対応する制度ができていることを意味します。

アジアの奇跡的な経済発展の直ぐ先には、アジアの急速な高齢化が待っています。日本は、アジア諸国の社会サービスの人材養成や制度構築の役割を担っていくでしょう。技術立国日本に、もう一つの国際貢献が加わります。その仕事を私は担いたいと思います。





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