元衆議院議員(茨城県第6区)[無所属]大泉ひろ子オフィシャルサイト -大泉ひろこの徒然草(つれづれぐさ)-
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日々雑感
[2021/07/20]
野党よ、林芳正応援に結集せよ



 東京五輪、三人目の大物役者が辞任、と音楽家小山田氏の辞任について海外の報道は半ば呆れて伝えている。国内では、コロナ第5波の到来にワクチン行政の滞り、西村大臣の酒類卸業への無配慮な通達など、右顧左眄する政府の哀れな姿がマスコミをにぎわす。
 1993年、2009年の政権交代の時と同じ「政治惨状」だ。千載一遇のチャンスに野党は何をしているのだ。93年、自民党は宮沢政権の不信任案を可決させ、解散後過半数割れした自民党は与党の座を降りた。今、まさにその時と同じだ。
 自民党の中で誰が不信任案を突き付けているのか。それは、衆議院鞍替え選挙で自民党同士闘おうとする参議院議員林芳正だ。林は、総理になるために衆議院でなければならぬと決断したであろうが、確かに、今の自民党に総理になれる器は彼くらいしかいない。
 今の野党では、連立与党の過半数を破るところまで行けまい。しかも、自民党以上に総理の器はない。ガバナンスに失敗した民主党のDNAが残っているからだ。この際、まともな総理を日本にもたらすために、野党もこぞって(共産党を除く)、林芳正をを応援すべきだ。林は、参議院議員ながら、複数の大臣ポストをこなし、何よりも、社会正義を知る人である。学問に親しみ、国際派でもある。21世紀自民政治のアンチテーゼと言える。 野党が林応援の行動に出たとき始めて、旧民主党の殻を破り、かつての失政も許されよう。
 もうひとつ、都議選で自民が事実上負け都民ファーストが善戦したことを教訓にすべきだ。都民は、今の愚かな自民党に入れたくないが、さりとて、信用できない野党に与したくもない。その迷い票が都民ファーストに集まったとみるべきだ。人々は「保守的野党」を要望している。ならば、日本維新の会は、与党と連立を組むことを考えよ。東京人は関西人を好かないが、ガバナンスを強化するために与党に参加する旨を人々に伝えることによって見直される可能性が高い。
 ウルトラCはかつての東京オリンピックで流行った言葉だが、超法規的というか奇想天外な選挙対策を考える人はいないのか。2度目の東京オリンピックのウルトラCはこれなのだ。
 ちなみに、2009年は、国民が民主党の味方に付いたことで、政権交代が果たされたが、今の野党はこれをまったく期待できない。林芳正応援で根本的に選挙対策を変えよ! さもなくば日本は敗戦あるのみ。

[2021/07/03]
政治の季節



 東京五輪が近づいている。首都圏のコロナ感染が第5波を予期させる中で、政権は祈るような気持ちで開催に向かっているはずである。
 確かに、選手選考の競技を見るだけでも、スポーツの美しさ、力強さに心惹かれ、人々は一時的にせよ前向きの日本を感じ取ることであろう。しかし、7割近くの世論が反対したのを押し切っての五輪開催であることは、政権が結果責任を負うということを認識しなければならない。
 もともと秋口の総選挙のファンファーレとして五輪を考えていたに違いない政権だが、かろうじて事無きを得る可能性はあるものの、コロナに関して吉と出るか凶と出るかは今のところ分らない。問題は、政権が賭けに出て、その賭けたものは国民の健康であるということだ。
 賭けに出る行為は、プロフェッショナリズムや科学の否定である。たとえ吉と出たとしても、真珠湾攻撃と同様、政府は国民の犠牲を前提にした決断をした。なぜそんな決断ができるのか。ひこばえ政治家と成り上がり者政治家が牛耳る政治だからである。プロフェッショナリズムも科学も存在しない。
 今回の総選挙はファンファーレと野党の不甲斐なさだけで片付けてはならない。先のG7で、民主主義の価値を謳い、中国の独裁制に対し直截の警告を与えたのは、21世紀に米中覇権争いの下でイデオロギーが問われることを意味する。
 日本は基本的人権と平和主義の憲法を擁し、明らかに米国と普遍的価値を共有する。そのイデオロギーの上に立って、対内外にいかなる政治を行うのかを発信していかねばならぬ。
 日本は経済的にも、長い歴史の視点からも、アメリカよりも中国に近いかもしれない。しかし、中華人民共和国憲法は、法治国家としながらも、「中国共産党の指導の下で」統治されることが明言されている。すべての統治機構の上に共産党があるのだ。だから、三権分立によるチェックアンドバランスはない。
 同様に、イラン・イスラム共和国憲法では、共和制としながらも、最高指導者はアッラーの意思に従う宗教者であって、行政府の長である大統領はその下に置かれる。ここにも三権分立はない。
 民主主義、とりわけ、思想の自由と三権分立は、もしかすると広い世界においては絶対の価値ではないかもしれない。しかし、我々日本人は1947年に民主主義を選択しているのである。我々にとっては絶対価値だ。G7の一員として、日米同盟の片割れとして、日本は内政ばかりでなく外交においても、具体的にどんな民主主義を発信していくのか明確にすべきである。
 ひこばえ政治家、成り上がり者政治家に問う。今回の総選挙でイデオロギーを明らかにせよ。国民の健康を賭けにした贖罪のひとつだ。

[2021/06/10]
脱炭素は文明の終わり?



 松井孝典 千葉工業大学学長(東大名誉教授)のお話を聴く機会を得た。先生はNHKの科学番組を立ち上げた学者としても有名である。今般は、地球システム論と地球文明との関係がテーマである。先生のご専門は地球物理学であるから、簡単に言うと、地球物理から見た人間圏とは何かである。自然科学から見た人間の「仕業」を考えてみるといってもよい。甚だ魅力的な学問である。
 先生が例に挙げたのは、ツタンカーメンの埋蔵物である。例えばその剣は隕鉄を材料にし、つなぎにはカルシウムが使われている。地球の外から来た隕鉄の加工は、アナトリア地方に住むヒッタイトの技術によるものとみられる。エジプト時代に地球外からの飛来物を認識し、国と国の広い交流があったのだ。
 かくのごとく我々は、何千年前から人間圏を形作り、36億年前に地球に生命が、138億年前に宇宙が誕生し永遠に近い時間の果ての地球物理学上の存在なのである。イタリア人物理学者エンリコ・フェルミの有名な問いかけ「宇宙には地球と同じ生命を持つ存在がいるはずなのになぜ地球に現れないのだろう」は謎のままだ。他方で地球もどきの惑星はたくさんあって、火星や小惑星に行きだした我々人類は水の痕跡などを見つけては、宇宙人の存在に夢を馳せる。
 残念ながら、人間の文明はツタンカーメンの剣のごとく科学的説明のできるものもあるが、科学が文明を説明しつくすには程遠い。にもかかわらず、今日的に大きな課題が科学から、特に地球物理学から指摘されている。それは、地球温暖化である。二酸化炭素の削減が課題である。18世紀に蒸気機関を発明し産業革命が始まり、21世紀に車や飛行機が商業化し、文明の進化は二酸化炭素の排出によってもたらされたことは確かである。二酸化炭素の排出増加は、文明発達の条件だったのだ。今更脱炭素とはいかに?
 しかし、異常気象による災害や農業被害に見舞われ、人類は脱炭素の方向を選ぶ。具体的には、二酸化炭素の排出を国内総生産GDPの増大に必要不可欠としないことが要求される。即ちCO2とGDPのデカップリングが必要だ。では、どんな方法があるのか。 
 人口光合成を発明し、CO2を使って酸素を増やすという科学的解決があるだろう。単純に人口増加を食い止め、一人当たりの生産性向上に目標を変えるという解決もあるだろう。我々は非文明に戻ることはできないという視点から、もっと優れた方法は考えつかないだろうか。脱炭素だけを叫ぶのでは、我々の進化が望めないことも知るべきではないか。

[2021/05/07]
ポツダム宣言受諾せよ



 ワシントンポストが5月7日、東京五輪は開催すべきではない、IOCの利益のためにバッハ会長は日本の開催を煽るが、日本は乗るべきではないと警告をした。先月、ニューヨークタイムスも同様の発信をしている。
 アメリカの代表紙が日本に最後通牒を通告しているようなものだと真剣に受け止めねばならない。五輪を優先せんがために、今回の緊急事態宣言も短期で終わらそうとし、結果的に再延長するはめになった。日本の希望的観測は見事に外れたばかりか、かつての悪夢を蘇らせる。
 かつての悪夢とは、ポツダム宣言受託の遅れである。ソ連は既に対日参戦を決めていたにもかかわらず、ソ連の仲介を期待し、また国体護持が保障されなければ受託はまかりならぬと逡巡し続けたのである。結果は、二発の原爆を落とされることになった。無意味な遅れが大きすぎる犠牲を生んだ。
 新型コロナの第4波は眼前に存在している。五輪開催が日本の健康と経済回復を壊滅させるのは火を見るよりも明らかである。それどころか、国内のみならず世界にウィルスを飛び火させる可能性も大きく、気候変動と同様、世界における科学的取り組みの努力を空しくする可能性が大である。インドの惨状をテレビの画像を見て遠すぎる対岸の火事と見る知性の低さに、国際的批判も免れまい。
 世論は7割が開催反対であり、自民党の中でも反対の声を上げる者が出てきた。五輪担当大臣が都知事を公然と批判するような手法の幼さも看過できないし、国の大事を任すことはできない。何よりも、苦労人を喧伝するも学問をおろそかにする一国のリーダーは恐るべしだ。
 ポツダム宣言を受諾せよ。党内でこの動きをリードした者こそ、次のリーダーとなろう。

[2021/05/02]
日本の育児の失敗



 日本の少子社会を招いたのは、若者の非正規雇用増加による結婚難、教育費用が掛かりすぎる、核家族化で育児負担が大きい、が原因の多くを占め、語り尽くされていると言ってよい。
 しかし、もう一つ問題がある。育児哲学の揺らぎである。戦前と戦後では、育児哲学は大きく変化した。「末は博士か大臣か」「親孝行」「三歩退いて師を敬え」は既に存在しない哲学である。裏を返せば、「偉くならなくてもいいから大学は出ろ、老親を養う必要はない、モンスターペアレンツは先生よりエライ」ということになる。この戦後の育児哲学の揺らぎこそが今一つの少子化原因となる。育児が誰をも幸せにしないからである。
 育児哲学の変化は経済社会の自然の流れ以上に、人為的な原因があったし、今もある。その原因と状況を育児の問題点として四点、以下に述べる。
 その第一は、戦後のアメリカの占領政策に端を発する。アメリカをはじめとする連合国は日本を徹底的に潰すつもりであった。しかし、49年に中華人民共和国が建国され、ソ連の原爆実験が成功し、翌50年に朝鮮戦争がはじまると、にわかに占領政策は転換を余儀なくされた。日本はアジアにおける共産主義の防波堤となるように、憲法九条の戦争放棄をしり目に自衛隊の発足が決まった。
 ただし、占領政策が180度転換したのは安全保障の分野であって、社会政策や教育政策は当初の意図のまま日本の価値観を捨て去るように実施された。社会政策では、戦前人口増大を目標としていた日本を潰すべく、48年に優生保護法がGHQのバックアップで立法され、翌年改正して経済的理由で堕胎ができるようになると50年から出生率は劇的に落ちた。優生保護法なかりせば、日本は欧米と同様、ベビーブームが十年は続いた可能性が高く、たった三年で終わったことが今日の急激な少子社会をもたらした遠因になっている。
 教育政策については、六三三四制の導入で高等学校ナンバースクールを廃止し、その意味は日本の教養主義を消滅させたのである。当時の高等学校の学生が好んで歌った「デカンショ、デカンショで半年暮らす」はデカルト、カント、ショウペンハウエルの哲学書を読む、つまり教養を身に着けることを表したものである。現在の高等学校は後期中等教育であり、今となっては大学受験のためでしかなくなっている。大学は専門課程が実質二年と短く、戦前の帝大三年の教育には及ばない。子供たちに活力を与える高等教育はどこにあるのだろうか。
 初等中等教育は、デモクラシーを教える機関となった。親も教師もデモクラシーの意味は分からなかったが、旧来の価値を家庭では及び腰に教えることになり、学校教育とのダブルスタンダードで戦後教育は始まった。
 そのダブルスタンダードで育ったのが団塊世代を始めとする戦後世代であり、その曖昧な団塊世代の哲学で育ったのが団塊ジュニア以降の世代である。現在の親となるべき年代は団塊ジュニア以降になるが、結婚しない、子供を持つのに躊躇する、育児に積極的な希望を見出さない世代でもある。
 第二に、占領政策とは別であるが、戦後アメリカ的なものは価値が高いとの風潮により育児にもそれが現れた。スポック博士の育児書が象徴的であり、日本では、66年に翻訳出版され、育児の指南書としてベストセラーになった。児童中心主義を謳うこの本は、赤ちゃんの自立のために親子が別室で寝るべきこと、泣いても抱き癖が付くから抱かないことなどを説いた。日本古来の添い寝や抱っこのスキンシップを否定したのである。
 また、商業主義で行われたのであるが、日本人がアメリカ人に比べ体格が悪いのは牛乳を飲まないからだと喧伝され、母乳を離れ、牛乳育児が流行った。岡山大附属病院の山内逸郎先生等の努力により免疫力のある母乳主義に戻された。しかし、スポック博士の育児書同様、スキンシップに欠く育児がかなり長い期間行われたことは否めず、このような育児方法で育った世代が子供を持つことに積極的になれるかは検証すべきである。
 第三に、女性や育児の在り方について、フェミニズムの一部から旧価値を攻撃されることも影響がある。男女の差はない、男も女も平等に育児すべきというのは、生物学的にみると極論のように思われる。むしろ男にはできない女の育児という仕事に誇りが持てるような制度的仕掛けが必要である。仕事も育児も両方が大きな価値あることと社会全体が受け止めるべきと思う。
 第四に、この欄でも紹介したことがあるが、京大教授の明和政子先生によれば、社会人類学では、ヒトは、他の霊長類と異なり、共同養育するDNAを持つという。人間は極端に未熟児として生まれ、複数の養育者を必要とし、特にお婆ちゃんは育児経験者として閉経後も生き延びる理由がある。
 しかし、核家族化した社会に必ずしもおばあちゃんが卑近にいるわけではなく、ないものねだりになる。そこで、保育所という共同養育の機関があるのである。保育所は近年、働く母親のための経済社会的理由で存在しているとみている人が多いが、それ以上に、共同養育のために必要な機関でもある。また、子供は子供を求め、兄弟姉妹の少ない現在では、子供同士が早く出会える場なのである。保育所はあくまで家庭育児の補完機能であるが、この重要な役割を報酬などの点で強化していく必要がある。
 以上育児に関する四つの問題点を挙げたが、ただでさえコロナ禍で産み控えが起きている日本が、育児大国となって少子社会を克服できるかどうかは、政治や社会の考え方次第である。
 

[2021/04/25]
新型コロナの不都合な真実と小池都知事



 新型コロナウィルス(COVID-19)の感染を抑制するために、本日から4都道府県に於いて三度目の緊急事態宣言下に入った。マスコミは既に政府のやり方に対して厳しい。「後手、小出し、これで収まるわけがない」と専門家の口を使って言わしている。
 菅首相も申し訳ないという低姿勢を貫いているが、今回の宣言終了予定の日の状況如何によっては、オリンピックの開催に影響が出るのは必至であろう。
 日本は相変わらずワクチン接種もPCR検査も欧米に大きく遅れている。DNAの関係で、欧米人に対しアジア人のCOVID-19罹患率が低いのは幸いしているが、経済回復とオリンピックの開催を焦る日本にとっては、OECDの直近の成長率見通しは、厳しすぎる。2021年成長率は、世界平均5.6%に対し、日本2.7、米国6.5、ユーロ圏3.9、中国7.8である。
 明らかに日本の政策は対コロナも経済回復もどちらも成功していない。菅政権にとってそれでも幸いなのは、野党がまともな政策提言できないままだからである。今後のウィズコロナ対策に対し、野党はゼロコロナという、子供でも笑ってしまうようなスローガンを掲げているのである。政府はダメだ、しかし、他に任せるところがないという状態はもう十年も続いている。
 各マスメディアでは同じような情報を同じように流しているが、COVID-19には、実はもっと大きな不都合な真実が存在する。エイズ発見でノーベル賞を受賞したリュック・モンテニエ博士(フランス)は、ワクチンの有害性を主張し、直ちにワクチン接種を止めるように発言をしている。
 ただし、この動きを後押しする学者や機関は今のところ不明だ。モンテニエ博士はかねてから、がん治療も放射線治療や抗がん剤の有害さを説き、免疫療法によるべきだという持論の持ち主である。自閉症や精神病も、免疫力を使う治療法を推進し、抗うつ剤などの有害性を主張してきた学者でもある。
 欧米では、これが不都合の真実だとしても、既に人口の半分以上接種済みの国もあり、喫緊の対策に後戻りは許されず、博士の進言にとり合うことはない。モンテニエ博士は「人間よ、物言わぬ羊になるな、羊はワクチンの実験でやせ細り、ワクチンの副作用は3世代後まで続く」と意見を述べている。
 科学の成果は時間をかけないと分らない。ひところ、子宮頸がんのワクチンの副作用が問題となり、中学3年生の女子への接種を任意接種に改めた自治体が増えた。今ではこの副作用は稀の中でも稀というのが定説化しつつあるが、子宮頸がんワクチンを阻んでいるのは、むしろ十代で性行為をすることを前提とした接種への倫理的な抵抗でもある。だから、解決は付いていない。
 COVID-19のワクチンが70-80%の接種率に達したとき、感染の連鎖は断ち切られる。今は、それが世界にとって何よりも必要なことなのである。不都合な真実はそのあとに検証するしかあるまい。
 だが、それよりも、オリンピックを開催できないときの不都合な真実とは何なのだ。利権がらみと思われても仕方がない。そうでないなら、明快な説明が必要であろう。やはり、ここは、人の命優先である。少なくとも、政治においてはそうでなければなるまい。
 日本の政治は、科学に耳を傾けず、利権を死守し、弱い野党に恵まれ(?)、世界でミャンマーに次ぐ独りよがりの状況にある。この政治の流れを変えられるのは、もしかすると、小池都知事がオリンピック開催中止を勇断することにある。それができれば、小池さんが抱き続けた野心―総理になる道も開けるかもしれない。

[2021/03/22]
下り坂の日本に疫病、地震そして水害



 1月のIMFの予測によれば、コロナ後の経済成長率は、世界平均4%である。インド11%、中国8%、アメリカ5%、欧州4%、日本は3%。世界の経済強国の中で、日本だけが平均以下という試算である。日本のコロナ対策、オリンピックの海外からの無観客、国の借金上積みなど、海外の日本を見る目は厳しい。加えて、森元総理の女性蔑視発言は日本を揶揄する好機を与えた。
 国内では「すべてパンデミックが原因だから仕方がない」が政治においても世論においても主流で、下り坂で迎えるであろう、これからの新たな疫病、地震、気候変動によってもたらされる台風などの水害について、前向きの議論が聞かれない。しかし、コロナからのレジリエンスには、経済回復だけでなく、あらゆる災害の予防が必然である。さもなくば、安全安心の国はありえない。
 今般、水文学が専門の寶馨京大教授のレクを聴く機会を得た。寶教授によれば、高潮や洪水などの水害は、地震に比べると経済被害や人命損失などの数値は低い。例えば、巨大災害による経済被害の試算では、南海トラフ地震が1240兆円、東京湾巨大高潮が46兆円である。
 しかし、2019年の東日本豪雨や2017年の九州北部豪雨など、気候変動との関連も考えられる大水害が日本を襲っている。筆者は、鬼怒川の近くに住むが、2015年の鬼怒川洪水は海からではなく山からの洪水が死者14名を出す被害をもたらしたのである。筆者の住むやや上流で決壊したが、その時初めて土地を選ぶときに川の近くを何の考慮もなく選んだ自分の災害に対する甘さに気付いた。
 災害対策基本法は1959年の伊勢湾台風を契機として制定されたが、近年の法制度では、河川法、水防法の改正により、住民が危険情報を日常的に知ることができるようになっている。しかし、寶教授は、近年の小さな政府・少ない予算の下では、公助ばかりではなく共助(コミュ二ティの互助)や自助努力が必要な時代になったと言う。
 超高齢社会で、日々の健康には大いに自助努力をしていても、災害については「忘れがち」である。公助に期待するものが大きい。国民から見れば「政府はやること一杯で忙しい」「予算がない」は言い訳にしか感じられない。要するに優先順位を高くしないということなのだろう。大地震ももちろんだが、大水害も下り坂の日本に大きな打撃を与えることは必至だ。
 2028年にインドのGDPは日本を抜き、日本は世界4位になる。2050年の日本の人口は世界15位に落ちる。大災害が日本を壊滅させるかもしれないことを考えれば、災害対策予算の優先順位は高く上げねばならない。寶教授が挙げた以下の数字は、その必要性を現実的に指摘している。
 医療 医師 32.7万人
 国防 自衛官22.7万人
 防犯 警察官25.5万人
 防災 消防士16万人
 

[2021/02/20]
子育て政策に科学を




 「ヒトの発達の謎を解く」の著者である明和政子京大大学院教授のお話を聴く機会を得た。この欄で以前紹介した山極寿一元京大総長と同じく京大霊長類研究所で、チンパンジーとヒトの違いからヒトの発達を研究し、子育ての科学で大きな発言力を持つのが明和先生である。
 チンパンジーは6ー7年かけて子供を一頭づつ大人にしてから、次の子供を産むように仕組まれている。ヒトはそもそも子供を超未熟児として生み、成長までの時間が長い上に、未熟児を抱えたまま次の子供を産む。これは、ヒトが母親だけではなく、「共同養育」により生存、進化してきたからであると先生は説く。
 共同養育を生物学的に運命づけられているにもかかわらず、人間社会では長らく「子供は母親が育てるもの」である文化を作り上げてきた。筆者が90年代半ばに厚生省で児童行政に携わっていたころ、「子供は3歳まで母親が育てねばならない」三歳児神話や「保育所育ちは幼稚園児に劣る」という根拠のない意見が世の中で支配的であり、行政も、保育所の整備に及び腰だった。
 しかし、少子化対策の要として保育所が位置付けられてからは、女性の社会進出やデフレによる共働きの必然が状況を変えてきた。いつの間にか保育園児の数は幼稚園児を抜き、保育所に入れないことが「保育所落ちた。日本死ね」というほどの問題にまで達するようになった。保育所は一定の地位を得たのである。
 この事実は喜べない。明和先生の言う「共同養育」こそが本来の子育てであるという発想が受け容れられたわけではなく、少子社会と生産年齢人口の減少という背景から、女性の労働力をバックアップする形で、子育ての省力化、利便化を図ろうとしたのが近年の保育所の発展にすぎないからである。
 90年代半ば、少子化政策が始まったころに明和先生の研究成果が出ていれば、「量的に増やせばいい」という政策の在り方は違っていただろう。母親が労働市場にいようがいまいが、共同養育の施設として全ての子を対象に、専門性を高めた施設の在り方が求められてきたはずである。
 母親が産後うつやヒステリーになるのは誰にでも起きる現象であり、それを抑制できるのは共同養育者の存在である。父親はもちろんだが「イクメン対策」は徐に改善するにとどまり、祖父母、保育士のみならず、もっと様々なボランティアを含む社会資源を政府主導で制度化すべきである。
 脳科学や心理学から既に多くの指摘が出ているように、なべて乳幼児期に信頼できる養育者が複数いる子供は青春期の不安定を乗り越えやすい。また、明和先生の指摘によれば、ヒトは15歳くらいで性的成熟を遂げるが、脳が成熟するのは25歳くらいであるとのこと。社会は、法制度的にではなく、生物学的に真実に成熟できるまで「共同養育」の立場で若者を見守っていく必要があると考える。
 医療の現場ではEBM(Evidence Based Medicine)が注目されているが、教育、福祉の現場では遠い先のことのようだ。政策立案者も統計だけではなく、ましてや政治家の思い付きを忖度するのではなく、科学的な政策策定に向かわねばなるまい。少子化政策と子育て政策に求められるのは、今まさに科学である。


 

[2021/01/16]
北極の夢




 コロナで再び「鎖国」と「自粛」の体制に入る中、国内外の重要課題は置き去りにされた感がある。その一つが地球温暖化であろう。その温暖化の象徴が、いつも映像に現れる北極の氷の崩落だ。
 此度、北極研究で知られる山口一東大大学院教授のお話を聴く機会を得た。山口教授は長年にわたって北極の海氷域面積の縮小を研究してこられた。北極は、温暖化の象徴以上に、科学の研究対象の宝庫であり、産業振興や災害政策にもつながる重要な課題を抱えることを知った。
 温暖化による解氷は、ロシア側とカナダ側の北極海航路を開き、アジアと欧州間、アジアと北米東海岸の距離を3ー4割減することができた。輸送などの経済効果を生み、かつ資源開発の可能性も大にしたのである。北極海航路が政治的に安定しているならば、スエズ運河やパナマ運河を利用するよりもはるかに安価になる。
 ただし、北極は南極とは異なり、大陸ではなく、海であるので南極条約のような平和利用のための国際条約がない。国連海洋法条約が適用されるが、課題はロシアやカナダの内水を通過するため、その利権が考慮されねばならない。運航や開発が自由にできるというものではない。
 かつては、日本からの欧州便はソ連の上空を飛行できないため、アラスカ経由で北極の上を飛んだ記憶がある。現在は欧州はみなロシア上空を通って直行便で行けるようになり、時間が短縮した。北極海航路も自由主義議国にとってはカナダの方が使いやすいそうであるが、北方領土返還を含め、ロシアとの友好はここでも必要になってくる。
 日本は、ノルウェー、ロシアと協力して北極海航路の研究を行ってきたが、近年では、北極の経済性を認識して、中国や韓国も日本を真似ようとしている。特に中国は、経済力と科学への投資に力を入れていることから、北極海航路を一帯一路に含め氷のシルクロードと呼んで積極的に開発参入を狙っている。
 北極における日本の解氷予測はきわめて正確であり、日本が北極科学をリードする可能性は高いが、ここでもまた予算の制約がある。砕氷機能の付いた北極研究船がようやく予算化された。この船を持たないと船を持つ国と同等に研究ができないそうだ。
 科学者は第一線に出たときに「先進国日本のはずなのに・・」と思わされる場面が多いであろう。必ずしも経済性だけを目指すのではなく、基礎研究にふんだんな予算を組める国になってほしい。カネで中国に負けるのは先達研究国として残念ではないか。コロナ対策も経済政策とのバランスで大きな投資をしなかったのが失策と言われる所以ではないか。
 

[2020/12/20]
WHOよ、日本よ、どうする?



 
 コロナ禍が越年することは明らかになった。欧州では再度のロックダウンが行われ、英米ではワクチンの接種が始まり成果を待つ。日本では、GO TOキャンペーンが批判され一時中止に追い込まれるとともに、政治家の「ルール違反」会食があげつらわれ、相変わらずの混迷ぶりである。

 疫病対策は国ごとに行われ、台湾やシンガポールが称賛されたり、アメリカやスウェーデンが批判されたりしてきた。世界的オピニオンリーダーのユヴァル・ノア・ハラリは、このパンデミックを乗り切る手段として国際協力を主張するものの、世界の動向はそうではない。専ら主権国家の個別な取り組みが競われている。

 そもそも保健衛生の国際協力機関として70余年の歴史を持つWHOは、アメリカがその中国寄りの姿勢を批判して脱退宣言し、バイデン大統領が就任すれば復帰することになっても、果たして、世界の疫病終息のリーダーシップをとれるのかは疑問である。

 WHOはアメリカが脱退して分担金を支払わなくても、アメリカからは分担金とほぼ同額のビル&メリンダ・ゲイツ財団からの寄付が行われている。しかも、WHOは第二次世界大戦中にアメリカが国連加盟国だけではなく非加盟国も含んだ脱連合国の機関として発足させた経緯がある。即ち、WHOの存在にはアメリカの功績が大きい。

 筆者は、80年代、ユニセフのインド事務所に務め、WHOと連携してインドのポリオ予防接種キャンペーンの仕事を担った。WHOが接種対象の子供数の把握方法を確立し、ユニセフはともにその調査を行い、また、コールドチェーンの整備などを行った。国際機関の中で、WHOとユニセフの2機関が際立って現場主義であり、プログラムも予算も自ら作り、いわゆる本部指令型の業務形態とは対照をなしている。

 その後、筆者は厚生省(現・厚労省)に戻り、WHOのジュネーブ総会に出席するようになって驚いた。そこは、政治の場であり、巨大な官僚機構の場であった。80年代末、アメリカはWHOの方針に反対して、脱退し分担金を止めた。アメリカの参加のない総会は、まさに心棒を失った会議であり、全世界に国境のない保健衛生を普及させるには、大国の力、いや、アメリカの力が必要であることを痛感した。なぜなら、専門家集団の送り込みも医薬品の開発力も、アメリカがダントツだからである。

 WHOのテドロス事務局長はマラリアの研究者でありエチオピアの保健大臣と外務大臣を務めた政治家でもあるが、アメリカを理解していなかったのではないかと思われる。WHOからの脱退は上述したように、初めてのことでもなければ、トランプ大統領だからでもなく、アメリカは、しばしばユネスコや国連人口基金の脱退もしてきた。

 テドロス氏は、2003年中国でSARSが流行したときに、当時のWHO事務局長グロ・ブルントラント氏が中国の情報隠蔽を批判し、加盟国中国との関係を悪化させたことを特に意識したと言われている。ブルントラント氏は、元ノルウェー首相で、92年リオデジャネイロ開催の地球サミットを成功させた女性である。筆者は直接にお話ししたことがあるが、パワフルで明快そのもの、テドロス氏より少なくとも政治家としては一枚上手のような印象を持つ。

 WHOがコロナ終息に向けて加盟国の行動基準を作ってリードし、開発途上国へのワクチン供給を率先して行えるように、すぐにでも体制を整えねば、今始まったことではないWHOの力不足はさらに下り坂となろう。悲しいかな、日本は、今、WHOどろこではない。保健所を減らしてきた公衆衛生体制を、今後繰り返すであろう疫病対策に向けてどう立て直すのか、層の薄い感染症専門家集団をどう養成するのか、そして疫病を原因にしているがその実、内在的に経済低迷している状況をどう脱するのか、方針は全く見えない。
 



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