元衆議院議員(茨城県第6区)[無所属]大泉ひろ子オフィシャルサイト -大泉ひろこの徒然草(つれづれぐさ)-
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連載記事
[2015/12/04]
ハトの逆襲(3)世代間対立



 この世の対立・抗争をハトとタカの争いになぞらえてみよう。先ずは、世代間対立である。日本の社会に世代間対立は厳然と存在する。その大きな原因は社会保障の負担を巡って生じた。ここでは、議論のために、社会保障資源を食いつぶす団塊世代以上をタカ、若者世代をハトと想定する。
 日本の年金制度は、1944年立法の厚生年金保険法が元である。当初は、積立て方式で自分の老後は自分で積み立てるとの発想だったが、1973年の改正で「世代間扶養」の発想が採り入れられ、年金だけで食べていくには、若者の保険料を原資とする賦課方式が必要になった。当時は、子供が老親の扶養するのは当たり前であったから、この発想は美徳ととらえられた。
 しかし、奇しくもその年、オイルショックを契機に高度経済成長期は終わり、80年代の安定成長期を経て、90年代から日本経済は、長い低迷期に入った。現在、経済が上向いている数値はあるものの、失われた30年から抜け出たとは言い難い。この間、2004年の年金法の改正で、給付の抑制と保険料の段階的引上げが制度化されたが、同時に起きた年金記録紛失の問題で、人々は年金制度に厳しい目を向けるようになった。
 特にこの頃、社会の主たる労働力となった団塊ジュニアを含む若者は、既に老親扶養の「美徳」が消え去った時代を背景に、年金給付の世代間不公平を指摘するようになったのである。それに加えて、医療保険による医療費は70歳を超えた者が半分を使う事実は、ただでさえ不況と制度改正のあおりで正規雇用に就けない若者の怒りを買うようになった。日本が社会保障の基本としている社会保険方式は、超高齢社会においては、若者の負担ばかり強いる仕組みになっていることが議論を呼んだ。
 若者たちの中には、制度改正を待つよりも、社会保険に加担しない、つまり保険料を払わないという個人的解決をした者も多い。タカに占領された社会保障の世界では、ハトはもうこれ以上おとなしくしてはいられないのである。
 しかし、ハトは損ばかりして生きていたわけではない。豊かさの中で、身長体重ともに大きくなり、親たちよりも高い教育を受け、医療の発達で、親世代に比べ夭折する危険も著しく少なかった。兄弟が少なく、長男長女が多い社会では、いずれ親の購入した土地家屋を相続する可能性も高い。つまり、個人ライフという視点では、はるかに親をしのぐ人生を送って来たであろう。
 むろん、世代間扶養の時代ではないから、勝手に自分たちを生んだ親に「お返し」をする必要はない。社会の制度そのものが長期にわたって作られた歴史的産物ゆえに、ハト自身が自分たちのために制度を作り替えねば、既得権益は存続する。団塊世代もほとんどは組織人を卒業したから、その日は早晩やってくる。
 しかし、ハトたちの問題は社会保障だけではない。戦争や植民地とは無縁の人生を送ったハトたちにとっては、日本を敵視する中国や韓国の政府に承服できない思いの者が多いだろう。
 近代日本は沢山の内戦・戦争を経験してきた。戊辰戦争、西南戦争、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦(日本も参戦した)、日支事変、太平洋戦争。間接とは言え、朝鮮戦争、ベトナム戦争も日本に大きな影響を与えた。太平洋戦争敗戦から70年、切れ目のない平和の時期に既に新たな3世代もの人間が共生している。
 例えば団塊世代の筆者は、太平洋戦争に従軍した父親から、日露戦争を語る祖母から、戦争と近隣諸国との関係を口伝で学んだ。筆者の次の世代からは、教科書の文字で読むしか戦争を知り得まい。あるいは、戦後、マッカーサー元帥が日本の支配者として、多くの日本人の信奉を得、何十万通の元帥宛手紙が寄せられたことをハトは知らぬであろう。それが今日の日米関係の基礎となっていることも、教科書では言い尽くせまい。
 ハトたちよ、タカは必ずしも正しくはない。しかし、切れ目のない平和の70年を送ってきた中で、いささかでも戦争の臭いを知るタカの話も聞いてほしい。その上で、ハトの合理的な結論を招けばよい。タカへの逆襲の始まったハトたちに、まだ外交の操縦桿は渡せないと信ずる。
 蛇足になるが、政治の世界での世代間対立はあるか。国政で言えば、党首は概ね50〜60歳代。世襲議員は若くして議席を得るから期数は多く、年齢は若いが、職業経験が不足だ。野党は特に政治塾出身や地方議員出身が多く、これまた職業経験が不足だ。選挙で苦労するのも人格形成には一定の経験をもたらすが、政策的には、職業経験が老練のタカ、素人感覚のハトを生む。必ずしも世代で対立するのではないし、「偉くなりたい病」が蔓延する世界だから、老練であれ素人であれ、その思いの強いものが勝つ。現在、政治の素人化が進んでいるので、ハトの逆襲は成功するかもしれない。
  
 
 

[2015/10/30]
ハトの逆襲(2)ハト派の由来



 人間の居住地に共存している鳥は、カラス、雀、鳩である。地域によって国によっても違う。筆者がインドに住んでいたころは、庭によく孔雀がやって来たっけ。これらの鳥は習慣的に人に食べられないと思ってか、気安く暮らしている。人の方は勝手に、カラスは不吉、雀は米泥棒、鳩は平和の象徴と見ている。
 はて、鳩が平和の象徴とはなぜなのか。その昔、洪水で流されたノアの方舟から鳩を飛ばし、その鳩が帰らなかった時に陸地が近いと知り、喜んだそうだ。だから、中東近辺では、宗教的な鳥として扱われていると聞く。
 聖の鳥にしては、可哀想に、フランス料理の定番で、鳩はよく食される。インドでは、聖なる牛は絶対に食べてはいけないのとは異なるようだ。鳩肉は赤ワインに合うが、鶏肉と比べ、それほど感動するような代物ではない。
 日本では、出尻鳩胸と言って、要するに太めの女性を揶揄する言葉がある。鳩から想像すると、どう考えても恰好がいいわけではない。世の女性は鶴や白鳥には憧れるが、鳩のようになりたいとは決して思わない。クークーと啼き(西洋ではククルククー)、首を上下に動かしながら、地べたの豆を拾ってよちよち歩くあの姿はお世辞にも優雅ではない。
 さて、前置きが長くなったが、いわゆるハト派とタカ派のイメージは、圧倒的にハトの負けである。タカを見よ。上空から地上を睥睨し、急降下しては一瞬に地上の小動物を捕えるあの雄姿。人間と慣れ合うこともなく、能あるタカは爪を隠す、の諺の如く、能もあれば爪という武器もある。豆鉄砲を喰らって怯むハトとは大違いではないか。
 イメージから言うと、とてもハト派になりたくはない。タカは仕事のできる人、ハトはもたもた生きている人を象徴している。
 今、政治の世界はハトだらけである。自民の伝統的なハト派宏池会は安保法制に抵抗せず。ハト派を標榜する野党は有効な議論できず。タカ派橋下徹(爪を出しっぱなし)は維新党を解党する荒療治に出たが、ハト派が右往左往するばかり。
 果たして、ハトが逆襲する機会は来るのだろうか。それとも、ハトは永遠にダメな存在なのだろうか。
 

[2015/10/16]
新連載 ハトの逆襲(1)ゲーム理論



 経済学を学んだ者は、囚人のジレンマを必ず教えられる。ゲーム理論を囚人同士の駆け引きで表し、駆け引きの均衡するところを理論家の名を取って、ナッシュ均衡と呼ぶ。当のノーベル賞学者ナッシュは、アメリカ映画「ビューティフルマインド」のモデルになったことでも知られる。
 受賞の功績であるゲーム理論は、彼のプリンストン大学時代の恩師であるフォン・ノイマンが創設者と言われるが、実は、ゲーム理論は経済理論とは限らない。英国のジョン・メイナード・スミスが進化生物学に導入したゲーム理論は、それ以上の学問的貢献を果たしたと言っても過言ではない。
 スミスのゲーム理論は、俗にタカ・ハトゲームと呼ばれる。筆者らが高校時代に学んだダーウィンの進化論は、適者が多くの子孫を残すと習ったが、スミスは、集団の中では、動物は、単なる個人競争ではなく、他者の出方を見て、行動様式を決め、生き残る戦略を使うと言う。
 ハトの集団にタカが飛び込めば、攻撃的なタカは初めは勝つが、やがて互いに殺し合いになり、逃げていたハトが生き残ると言う。タカの集団にハトが飛び込めば、初めはハトは餌を得られないが、やがて、タカ同士の傷つけ合いによってハトが多数を占めるようになると言う。したがって、タカという種もハトという種もなくなりはしない。
 タカ・ハトゲームは政治の世界で類似の現象がある。タカ派は強面、ハト派は柔和だが、どちらも勝ったり負けたりしている。ただし、タカとハトの分類は単純ではなく、概ね保守がタカ、革新がハトと見られがちだが、保守の中にタカとハトがいるし、革新の中にタカとハトがいる。
 最近、テレビで、田中秀征氏が、「自民党のハト派宏池会は死んだ」とコメントをした。宏池会は、安保法制も追随し、岸田文雄会長は閣内に取り込まれてハト派としての影響力がない。言うまでもなく、タカ派安倍総理の独走を許している。
 民主党や維新党はタカ派なんだかハト派なんだか、さっぱりわからない。党の一貫した政策が見えない。維新党は分列間近、民主党は何でも反対の党になった。いわば、ひな鳥の集まりか。
 アメリカの民主党は、そもそも民主党ルーズベルトが太平洋戦争を強硬にやってのけたタカ派で、キッシンジャーを使ってデタント(宥和)政策を貫いた共和党ニクソンがハト派だったが、最近は逆転、レーガン、ブッシュ親子の戦争好き共和党がタカ派になり、ハト派を標榜した民主党オバマは、今も外交は右往左往している。
 進化生物論の上述ジョン・メイナード・スミスによれば、生物界では、タカが勝ったり、ハトが勝ったりすると言うが、果たして、政治の世界では、今後どうなる?
 

[2015/10/15]
読者の皆様



 政治記事を中心に書こうと試みた「カオスの政治」は、連載小説が忙しかったために、筆が滞りがちでした。
 今般、表題を「ハトの逆襲」と改め、価値複合体であるはずの自民党の右偏向や、野党連合ままならぬ野党の在り方等を考察する記事を綴っていきます。
 どうぞご愛読くださいますよう、お願い申し上げます。

[2015/01/29  2015/03/14修正]
カオスの政治 6.鳩山元首相、バッシングに応えよ



 昨日、鳩山由紀夫元首相グループの会合に出た。筆者にこのグループから声がかかったのは初めてである。筆者が現職中は、初めは菅直人、其の後は鹿野道彦のグループにいたから、縁がなかった。
 鳩山元首相は、今や「バッシングの寵児」だ。どうしてこうなったのか。過去を遡り、「・・・たら」「・・・れば」の論理を臆せず言うならば、普天間移設問題をきっかけに彼が小沢幹事長とともに退かねば、民主党政権はもっと続き、彼を今日の政治被告人に仕立て上げることはなかった。確かに、鳩山元首相は理想主義者で、現実の政治から乖離したと思われるところが多かったが、リーダーが理想を押し通そうとするとき、周囲が緻密に助ける必要があったのではないか。側近に事欠いた。
 その意味では、民主党の経営能力は不十分すぎた。民主党政権が成立して初めての特別国会で、鳩山元総理は、歴史に残るであろう所信表明演説をした。それは、小泉純一郎の名演説以上の出来栄えで、誰から言われるともなく、民主党議員が総立ちして拍手を送った。議会史上初めてのスタンディングオベーションである。総理の掲げる理想に大きな賛同を表したのである。
 小泉元首相もスマートで新たな時代を感じさせたが、鳩山元首相は、スタンフォード大学博士号を持ち、名実ともに新しい価値を呼び起こした。その後、普天間移設に加え、政治とカネの問題に悩まされ、辞職を決めた。本人は相当に苦しんだのであろう。しかし、民主党が選挙に勝ったのは、鳩山・小沢体制の下であり、党内がバラバラの価値観を持つ状況下では、二人の辞職後、政治が変哲していくことは否めなかったはずだ。
 さもありなん、菅直人元首相は「小沢さんは静かにしていろ」に始まり、消費税引き上げに言及した。即、マニフェストの逆行が始まったのである。だから、どんなに苦しくとも、あの時、鳩山元首相は辞めるべきではなかった。辞めたがために、今日に続く鳩山バッシングの始まりと民主党の瓦解を起こしたのだ。
 元首相として、其の後も、原発反対の官邸前演説をしたり、イランや中国で「外交」をすることに批判が集まったが、理想主義が彼を掻き立てるのだから、周囲は現実的なブレーキを踏み、彼の政治家としての器量を保つように働くべきだった。元総理を丸裸で行動させたのは誰か。
 彼の祖父鳩山一郎は日ソ共同宣言に漕ぎ着けた人だ。鳩山由紀夫元首相が就任したときに、真っ先に電話をした相手はプーチンとメドベージェフだったと聞く。鳩山辞職から安倍総理の登場までの間、日露関係は悪化した。日本のトップが直接コミュニケーションを図ろうとしなかったからである。ロシア人は、自分を大切にする相手を大切にする。
 鳩山一郎は日本では数少ないフリーメーソンであった。アメリカの政治家はフリーメーソンが多く、戦後GHQにやってきた将校たちも多くはフリーメーソンだ。鳩山由紀夫元首相も「友愛」を標榜しているから、間違いなくフリーメーソンであろう。日本で理解されるかどうかは疑わしいが、国際社会で活躍できる素地を持つ。
 政治は一人ではできない。リーダーに立つ者、それを支える者が必要だ。自己主張の強い民主党が崩壊したのは、職歴を持たない裏街道を走ってきた者が多く、彼等に限って、支える側に立とうとはしないことだ。稚児のように気に入らなければ暴れ出す傾向があり、リーダーをポイ捨てする。
 もし、鳩山元首相が理想とする日本外交の構築を目論み、さらには新たな政治集団を作ろうとするならば、民主党時代の組織崩壊に学び、周囲に彼の理想を支え、実現する能力を持つ実務家を集め、やり直すことだろう。少なくも、周辺諸国に足を運んでいるのは、そうした意図があってのことと思う。腹痛で首相職を投げ出した安倍首相の見事な復活は誰も予想していなかった。
 民主党の3人の総理は、いずれも安倍総理のように復活する可能性はないとみられている。それにしても、鳩山氏は、その理想を説明し、理論化し、もう一度世に問うてみればどうか。鳩山バッシングの半分は、表面的な日米同盟論者と外交のない外交を行ってきた外務省の圧力だ。鳩の毛をむしるバッシングに黙っていてはいけない。筆者は鳩山氏が全面的に正しいとは思わないが、少なくとも、彼の行動に一理あることを既存のバカの壁を破るために使うべきだ。鳩山氏がバカと言われている以上に、国民はバカにされ、真実を伝えられてはいないのだから。

[2015/01/20]
カオスの政治 5.影薄いサヨク



 英国議会で右側の席が保守、左側の席が革新だったことから、右翼、左翼の言葉が使われるようになった。しかし、何が右で何が左なのかは時代によって変遷するから、マルクス主義を除けば右左は相対的なものであろう。
 たとえば、環境主義は、かつては保守主義の発想だった。米作地帯に鉄道を走らせる開発に反対したのは、田園風景を守りたい保守的な人々だった。しかし、鉄道を通した地域のほうが結果的に発展し、後で保守主義者は臍を噛むことになる。
 今の左翼は、60年代70年代、学生運動や労働組合運動が華やかなりしころとは全く様子が違う。左翼思想の担い手はNPOだったり、過激でない「意識の高い」女性グループだったりだ。そもそも彼らにとって左翼思想が基礎になると考えるほうが間違っているのかもしれない。おおくは、子育てに関連して、食の安全や放射能への忌避からくる自然主義とも呼ぶべき思想と言った方がいいのかもしれない。だから、これを敢えて現代のサヨクと呼ぼう。
 マスコミ界では、サヨクの政策は「原発反対、開発主義反対、軍備拡張反対、アメリカとの同盟強化反対、中韓友好志向、社会保障の充実第一、弱者救済優先」がセットである。これ等の反対にあるのが右翼だが、これまた、かつての右翼と違うのでウヨクと書こう。ネトウヨに見られるように、ダサいサヨクに反対しているのであって、右翼思想に取りつかれているわけではない。
 安倍政権は本格的な右翼政権だが、民主党政権の後で明快な行く道を示したことにより、あまり右翼的でないウヨクを味方につけ、サヨクは結果的に影が薄くなった。
 中国の経済成長率が7.5%から7.4%へ下方修正しただけで世界経済への影響が懸念される中、日本経済も成長をしなければ縮小していくばかりである。安倍政権には成長に向かう責任が課せられ、役割を懸命に守ろうとしている。この状況の中では、サヨクは動きにくいのではないか。
 さて。民主党代表は岡田克也に決まった。岡田氏は、賢明な紳士である。サヨクではない。しかし、民主党の置かれた立場はサヨクでなければ自民党に対抗することはできない。曖昧にしていれば、またこれまでと同様に、有権者の不評を買い、さらなる縮小に追い込まれる。
 影の薄いサヨクを担いで新たな政策を掲げていっても歩留まりは悪い。もともと岡田氏を始め民主党の理念は小泉純一郎と同じ構造改革だったのだから、今更サヨクではなかろう。小沢一郎が保守との対立軸を「生活第一」にしたのが気に入らなくて、民主党政治はそれをかなぐり捨てたのだ。
 岡田代表の下で、新たな対立軸を作り出せるか。今流行りの格差問題は共産党に先んじられていることを念頭におくと、民主党に残された道は厳しいと察する。

[2015/01/15]
カオスの政治 4. しがらみ健在



 「一回は民主党にかけてみよう」。2009年、有権者の多くがそう思い、名前すら知らない民主党候補に投票をした。政権交代が起きたのは、それまで投票に行かなかった有権者が20%近くも投票率を上げて、民主党に投じたからに他ならない。
 しかし、民主党政治の失政以後、2012年、2014年と2回続けて選挙の構造は以前に戻った。地盤、看板、カバンを持たぬ民主党のにわか代議士は雲散霧消した(筆者もしかり)。比例票を分析すれば、自民党が1800万票、民主党が900万票。2009年を除けば、これは固定した数字であり、新たな有権者の食指は選挙において動かなくなったということだ。
 今後、2大政党制があり得るとすれば、自民の分裂しかあるまい。今の野党はあちこち向きすぎていて、とても自民党に対決する政党にまとめ上げることはできない。その中で唯一、明確なのは共産党だが、日本人は共産党を色眼鏡でしか見ることはできないから、政権政党にはなりえない。
 2大政党がいいのかどうかもわからない。イギリスやアメリカはもともと社会が二分裂していたから、二大政党制になるのは必然だった。イギリスは有産階級と労働者階級の階層社会。アメリカは南北戦争で二分した歴史がある。それに比べて近代日本は、黒船やGHQによって国の形を決めてきた国。二つの相反する利益対立で政治勢力ができたのではない。
 その日本に蔓延するのが「しがらみ」だ。英語で何と訳すのかわからない言葉だが、これは「嫌いだけれど好き」という難解な行動を生む。「候補者は嫌いだが、自民党に入れる」は多い。「頭はバカで経験もないが、地元出身だから」も良く聞かれる。合理的な判断を持ちながらも、行動は非合理に行う、それがしがらみの実態だ。
 しがらみは日本独特の文化かもしれない。ならば、批判しても否定しても始まらない。2009年のような奇跡が時に起こるとしても、それは稀だ。むしろ、しがらみを使って浮き上がる方法を考えねば、永遠に沈殿したままだ。
 しがらみとは若干異なるが、日本人が好きなのは「普通の感覚」である。かつての「巨人、大鵬、卵焼き」のように、大方の賛同を得られる範疇が受け入れられる。「巨人・・・自民党」。そう、4つ目の普通の感覚は政党では自民党なのだ。突出していいとは思わなくても、安心感を持つ。「あなたも私と一緒なのね」と頷きあうことができる。
 しがらみと普通の感覚は日本文化そのもの。よほどのことがないかぎり(2015年以降、経済でよほどのことが起きる可能性もあるが)、変わらぬ日本、変わりえぬ日本が続くであろう。

[2015/01/11]
カオスの政治 3.民主党よ、どこへ行く



 2012年総選挙で敗北を喫した筆者は、2年間、地域を歩きながら、次回は無所属で出馬しようと考えてきた。それは、多くの有権者の言葉が胸に突き刺さったからである。「民主党だけは許せない」。2009年の政権交代に大きな期待をかけた有権者は裏切られた気持ちであった。
 2009年、自民党に対して多くの有権者は、こう言った。「一度、自民党にお灸をすえてやる」。その言葉は自民党が反省すれば許してやると言う意味でもある。実際に自民党が十分に反省したかどうかは疑問が残るが、民主党政権の失政で、「お灸」は許された。
 「お灸をすえる」と「民主党だけは許せない」の言葉には大きな隔たりがある。その隔たりが2014年に民主党の回復を阻んだ。地域を歩き続けた筆者には、容易に想像ができた。「許せない」に対しては、謝罪し、解党して出直さねば、少なくとも自民党に対抗する政党までにはなれない。
 筆者の選挙区では、民主党が急遽、候補を立てたため、無所属の筆者に勝ち目はなくなり、取りやめることにした。かつての同僚に電話すると、民主党では、選挙直前になって、候補者差し替え、選挙区替え、果ては自分の公設秘書を候補に立てられたりとカオスとも言うべき混乱が起きていた。むろん、比例票を稼ぐためには、当落を度外視しても候補を立てる必要があったからである。
 2012年に負けた筆者の同僚が再び同じような惨敗の結果を受け止めている姿を見た。「ご苦労様」と心で労いつつも、負けるとわかった選挙に身を投じた人の背に「哀しさ」を覚えないではいられなかった。
 民主党は一度解党すべきである。「許せない」と言われたことからは、そう簡単には抜け出せない。人間関係でも、一旦切り捨てられたしまったら、よほどのことがなければ、よりは戻らない。生き直すことが必要だ。趣旨の違うグループ同士は寄り集まるべきではない。なぜなら、政治とは、ある趣旨の下に社会を作り上げていくのだから、船頭があちこちに舟を漕ぎまわすような方法では、誰も舟に乗ってこないからだ。
 巷では、老練の政治家亀井静香氏が新党を模索しているとも聞く。一時はカリスマとなった橋下徹大阪市長は既に国政への意欲を失っている。情勢は極めて流動的だ。だからこそも、ある。許せないと言われた民主党、勇気を奮って解党すべきだ。
 

[2014/12/24]
カオスの政治 2.あはれ、みんなの党



 2013年初頭、総選挙惨敗後、初めての民主党大会に出席した。他党からの来賓が少なく、唯一祝辞を述べたのは、当時みんなの党政調会長だった浅尾慶一郎である。民主党と競った選挙区もあるため、みんなの党からの来賓には、反対する声も聞かれた。
 しかし、その時の浅尾の発言は際立っていた。民主党幹部が強気ぶったり弁解したりの発言が続く中で、こう言い切った。「民主党には連合がある。みんなの党には支援組織はない。支援していただいた人に約束した政治をお返しするのが我が党である。民主党は2009年、連合のみならず、一般の人の大きな支援を背に受けて政権政党になった。しかし、その多くの人が望んだ政治をお返ししなかったのではないか」。
 まさにそのとおりだった。マニフェストは悉く放置され、約束しない消費税増税を唯一の政策にした。連合会長からの苦言も呈され、一般の人々は民主党から離れた。その状態が何も変わらぬまま今日まで来て、2014年は議席微増したとはいえ、復活の兆しは得られなった。
 みんなの党は、いわばプロセス党であった。行政改革をやり遂げ、そのあとは既存政党などに合流していくつもりであった(と筆者は解する)。だから、「身を切る改革」に一番の力点を置き、一定の評価を得ていた。身を切る改革を進めるには、固定した支援団体は障害になり、支援団体を持たない党であったことは潔しである。
 しかし、浅尾の民主党に対する優れた発言から2年も経たない今、みんなの党は分裂し、果ては解党するまでになった。しかも、前党首の金銭疑惑まで発展した。みんなの党の理想は分解し、消えた。少し、惜しいと思う。2年前は民主党を凌駕する可能性もあったはずだ。
 2012年総選挙以降、選挙は、地盤、看板、カバンの昔の方法に戻った。マニフェストは嘘と同義語になり、マニフェスト選挙は論外になった。もっとも、マニフェスト破りは民主党が始めたが、自民党も2012年の公約を破り続けている。TPPも原発も推進するとは言っていなかった。
 野党主導の二大政党制はしばらくは難しい。野党が無理に統合しても、民主党と小沢自由党の統合を思い起こせば、結果は火を見るより明らかだ。むろん、国民がもろ手を挙げて自民政治を応援しているのではない。自民も割れて、今世界的な課題である「格差」に取り組む分派ができれば、そこに野党が結集していく可能性はあろう。
 安倍政治への対立軸は間違いなく「格差」であり、それは支援団体のためではなく、国民一人一人の生活を取り戻すための政治であることを言い切れる政党がほしい。
 

[2014/12/23]
カオスの政治 1.カリスマ待望



 2年前、総選挙に敗れた筆者は、あえて「民主党の死体解剖」を書いた。表題はどぎついが、民主党の蘇生を期して、二大政党制の崩壊を分析したつもりである。
 2年後に抜き打ち総選挙があるとは、少なくとも2年前の時点では、誰も思っていなかった。野党はにわかに統一戦線を組んだものの、維新の党党首江田憲司が言うように、「野党の選挙協力だけではだめだ、信頼できる政党をつくらねば」。2年の間、その試みが全く行われなかったことへの反省である。
 安倍総理をして「世界で一番強いリーダー」と言わしめる評論家も出てきた。今回の選挙戦術で、長期政権の切符を勝ち取った安倍氏は、祖父岸信介の遺言「自主憲法」を目指して動き出すであろう。
 腹痛で総理を投げ出した安倍氏は、揶揄も批判もかわして、目も覚めるほどの復活をやり遂げた。しかし、喜んでいる場合ではない。その見事さの裏には、国民とかけ離れた政治哲学があるように思えてならない。むろん、安倍氏が帝王学で学んだものであり、国家主義がベースである。庶民感情と乖離しているのは当然なのかもしれないが。
 ただし、20代と40代の年齢層は、いわばネトウヨの輩出層だが、安倍帝王学に寄り添う。カリスマ的支配者を求めてやまぬ集団がそこにある。
 90年代のデフレ不況は安寧の政治を担ってきた自民党への疑問を初めて社会として共有させた。人々は、「自民党をぶっ壊す」小泉首相に賭け、ダメ自民党の受け皿の民主党に期待した。しかし、いずれも、裏切られる。小泉首相のもたらした格差、政権担当能力に欠けた民主党は人々の怒りを買った。現在、次なるカリスマ安倍首相に追随するグループが確実にいる。
 これまでのカリスマが簡単に崩壊したのをみると、安倍氏がカリスマであり続けるのも難しいし、新たなカリスマを思い描くのも難しい。経済の冷え込みも、戦争ができる国への準備も徐々に日本を襲っていく中で、カリスマに解決してもらうという「救世主待望」は危なくないか。カリスマはカリスマだけに、庶民とはかけ離れた別の意図を持つことも警戒すべきだ。
 今年の師走は、師は走ったが、状況は何も変わらないまま。危ないカリスマ待望が芽をふきだそうとしている。
 
 



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